公害環境現地視察会感想記
再生可能エネルギー市民共同太陽光発電所視察について
公害環境対策部長 島 和雄
3月29日(日)、公害環境対策として表記視察会を行なった。
視察行程は、まず無人の町・浪江町を訪れ、請戸小学校、福島第一原発遠景を見た後、希望の牧場を訪問。南相馬市小高区に移動、昼食後、憲法学者で映画「日本の青空」のモデルになった鈴木安蔵氏の生家を訪れ、その後、合同会社『金谷村守りソーラー』の視察・懇談を行なった。
浪江町・請戸小学校・希望の牧場
はじめに訪れた浪江町、請戸小学校や希望の牧場は、私にとって昨年の8月以来二度目の訪問だ。だいぶ整理され、除染作業も進んできたと言う印象を持ったが、しかし教室の時計が15時37分で止まったままの小学校や誰も生活していない街並みは、その時の悲しみをそのまま留めているように見えた。
次に、空中放射線のモニタリングポストが設置されている地域に来て、周囲の草むらや除染済みという場所での数値を線量計で比較。
モニタリングポストは2.055μSv/h(約18mSv/Y)、除染済み場所で0.54μSv/h(約4.7mSv/Y)、未除染の草むらが8.24μSv/h(約72mSv/Y)となっており、未除染のところは時間をかければまだまだ上昇しそうな動きを示した。なお、この三ヶ所は約50m範囲の公園と民家(住人不在)である。案内をして頂いた志賀さん曰く「帰還可能になって、じいちゃんばあちゃんは帰ってきても、子どもや孫たちは帰ってこねえよ。年寄りだけでどうやって暮らせば良いのだ・・・」。
(文中の除染済み場所、未除染場所の放射線線量は個人の線量計での数値です。公の数値ではありません)
年間線量1mSvならまだしも、20mSv以下なら大丈夫だから戻って宜しいと言われても、私でも子どもや孫たちには戻ってこいとは言えない。
歯科で撮る小さなレントゲン写真(フィルム用)の一回の線量は約10μSvなので、20mSvは年間2000枚(概ね毎日5.5枚)、顎全体を撮影する大きい写真では年間500枚(1日約1.4枚)のレントゲン写真を撮ることに匹敵する。その様な所で生活しろというのである。もし歯科医院でそんなことをしたら大問題。犯罪的だ。
そうまでして帰還させようとするのはどうしてか。原発事故の終息と安全性の強調、それに補助金のカットが狙いではないかと思う。勿論その先には日本中の原発再稼働と原発輸出が見え隠れしている。
「鈴木安蔵」氏生家
案内して頂いた志賀氏から、今回の目的からは外れるけれども是非見学して頂きたいと言うことで、案内されたのが同じく小高区にある「鈴木安蔵」氏の生家だった。
鈴木安蔵氏は有名な法学者で、実は日本の敗戦後制定された日本国憲法の草案要綱を提案した代表者の一人と言われている。この要綱について、アメリカ側から「民主主義的で賛成できる」と評価した文書も発見され、現憲法の原案となったいわゆる「ラウエル文書」のたたき台となったもので、鈴木安蔵氏ら当時の民主的研究者による自前の案が始まりと言うことが出来る。
上記のことから、改憲論者の言うGHQによる押しつけ憲法論は当たらないと言うことが出来るが、それにしても、当時は連合国(実質的にはアメリカ合衆国)による占領下にあり、誰がどの様に作ろうがGHQを通してのみ認められると言うことになる。敗戦国にとっては全てが押し付けであり、現在に置いて押し付けがダメと言うならば全てがダメである。しかし、押し付けであれ良いものならば残していくべきであろう。改憲を議論する争点は、押し付けかどうかでは無く、日本の平安にとって何が大切かと言うことだと思う。
「金谷村守りソーラー」発電
鈴木安蔵氏の生家を後にし、南相馬市小高区金谷に設置された太陽光発電所を訪れた。この発電所は佐藤修一氏(代表)ら地元有志15名が出資し設立したもので、7500枚の太陽光パネルによって出力1350KW、一般家庭400世帯分に相当する年間発電量を予定しているということだ。
この設置場所は第一原発から20Km警戒区域圏内にあり、農地は耕作不能であるが復興特区に指定され、農地指定のまま太陽光発電設置が可能となっている。
20年間固定で東北電力に売電される予定とのことであるが、それだけでなく農地が原野化するのを食い止めるための管理も兼ねていると言うことである。説明して頂いた世話人の佐々木正氏によれば、年間約2200万円の売り上げを見込んでおり、観光施設や今後の転作作物の栽培費用等に当てると言うことである。
なお、太陽光発電パネルにはカドミウムを含まない材質のものを使用し、廃棄も環境に配慮してのものになっているとのことである。
この地区は帰還困難区域になっており、誰も住めないだけでなく農地耕作も出来ない。佐々木氏は荒廃した農地を指さし、「あんな風に柳の木が自生して来るんだ。柳の木は年々太くなる。そうなるともうダメだ。この太陽光発電では、それも防いでいく。」と話していたが、農地を見つめる目には、地べたを少しも無駄にはしないぞと言う強さと耕作の出来ない悔しさが滲み出ているようだった。
日本のエネルギー政策を考える時、日本ほど自然(再生可能)エネルギーに恵まれている国はないと言われる。四季折々の陽の光、吹く風、降り注ぐ雨・・・太陽光、風力、水力だけでなく、波力でも発電でき、地熱発電も火山列島と言われる日本では大いに期待できる。さらに豊富な森林に恵まれ、日本こそ自然エネルギー大国だと言う識者もいる。それを活用しない手は無い。にもかかわらず、まだ福島の事故の解決も見ていない危険な原発に、なぜ力を入れようとするのか。
供給が不安定と言われる自然エネルギー発電も、多種、広域に、多くの地元民が参加する形によって、トラブル無く安定化に近づけることができると言う。さらに余った電力で水素を生産するなどして蓄エネルギー化が出来るようになればさらに安定する。多量の自然エネルギーを活用し、蓄電・蓄エネルギーを研究し、充分な電力を確保して、その上で必要に応じて火力発電(これも水素など蓄エネルギーに成功しすれば石化エネルギーを使わないで済む)を作動して安定化する。これらのことは大いに研究・推進すべき課題である。しかし、なぜか国と電力会社は電力の安定供給と称して地域と住民の未来をも失いかねない原発を推進する。
太陽光発電の売電契約期間は20年だそうだ。発電パネルの耐用年数は20〜30年と言われる。その間に、国と電力会社は大いに研究し、是非とも安全に、誰でも手にすることが出来る安定した自然エネルギー開発に成功すべきである。それこそが国民の安心につながる方法であろう。
佐藤修一氏(代表)ら合同会社『金谷村守りソーラー』の活動は、原発事故の被害者と失われた地域の救いとなり、さらに原発事故の再発・拡大を防ぎ、新たな日本の在り方を提案しているように思えた。