シリーズ「女川原発廃炉への道」
覚悟が求められる脱原発への道
理事 杉目 博厚
原発ゼロ社会の実現は東京電力福島第一原発事故を経験した我々にとって、そのリスクの甚大さからも成し遂げなければいけないと訴えてきた。しかし本当に成し遂げられるものなのかという思いが脳裏をよぎる。
脱原発を訴える者たちに、有用で実現性のある代替え案があるのか?地球環境を考えCO2削減は待ったなしだ。原発を止め石炭などの化石燃料に頼ることなどはできない。では再生可能エネルギーはどうなのか。メガソーラー、風力、地熱などを進めようとした場合、「生活環境破壊」・「自然破壊」が問題となり、地域と住民の反対運動が沸き起こる。このことはその他の自然エネルギー利用においても必ず起こることであろう。そしてこの反対運動の中心には多かれ少なかれ「脱原発」を主張している人たちが含まれる。すなわち「原発」も「原発に代わるエネルギーを補完する規模の再生可能エネルギー」も広い視点から見れば環境問題なのである。しかし全て反対では何も変わらない。「原発のリスクは他のエネルギー政策と比較して計り知れない大きなものである」というのが脱原発派の大きな主張の一つである。
エネルギーを得るためには「誰かに」「何処かに」それなりのリスクが生じることは否めない。核廃棄物の最終処分場という必ず解決しなければならない問題に関しては、当該地域に必ずリスクを負わせることとなる。誰もリスクを負わずに解決することなど、前を向いても後ろを向いても、どこを見てもあり得ないのだ。原発ゼロを実現するには、この現実からは逃れることはできない。きれいごとだけでは実現できないことなのだ。この国と国民にはその覚悟があるのか?「ルビコン川を渡る」ことが出来るのか。その答え次第ではより安全な新型原発路線が現実味を帯びてくる。
我々には「責任と信頼」の2つ言葉が問いかけられている。多くのアンチテーゼもあるかと思うが、それも含めこの問題から目を背けてはいけない。
本稿は宮城保険医新聞2023年1月25日(1803)号に掲載しました。